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浪速の名ボクサー列伝
ベビー・ゴステロ(1920−2000)
元日本フェザー級王者(2度獲得)
伝説になった異邦人王者
以前関西のある作家が「(終戦直後の)焼跡闇市と聞くと、ベビー・ゴステロを思い出す」と言っていたが、戦後の混乱期、東京よりも早く復活した浪速のリングの名物だったのがフィリピン生まれのこの選手だった。
柔軟な体を活かしたボクサー型で、左手をダラリと下げた構えから変幻自在に相手を翻ろうする独特の戦法は「ゴステロ流」として模倣もされた。「構えられると、誘っているのが分かるから出ていけなかった」とは、スパーで手合わせしたこともある鈴木太一(現新日本大阪ジム会長)の回想だ。
1941(昭和16)年太平洋戦争の始まる直前に20歳でフィリピンから来日し、以来79歳で亡くなるまで大阪で暮らした。戦前はピストン堀口や笹崎タケシ(人偏に作りは黄)らに負けたが、戦後は彼らにも雪辱している。ゴステロを招いたのは拳道会だったが、後に関西のオール拳に所属。47年、佐久間藤助を6回KOして戦後の初代日本フェザー級王座を獲得。50年に後藤秀夫に判定負けし王座を追われるも、再戦で雪辱し2度目のタイトル獲得。残された記録は113戦75勝17KO21敗15分1無判定1NC(74勝19敗14分5EX説もあり)。これも来日分だけで、ピストン堀口はじめ花田陽一郎、秋山政司、金子繁治、中西清明、大川寛といった日本のトップほとんどと対戦している。
本名・ロレト・ガスティーリョ。比島イロイロ出身。「拳の漂流――神様と言われた男」(城島充・著)は日本の戦後復興期を背景に、ゴステロという異邦人ボクサーの波乱の一生を綴った佳作である。
風間桂二郎(1926−−2009)
元日本ライト級王者。風間ジム初代会長。
遅咲きのブルファイター
ゴステロに少し遅れて、やはりオール拳所属で浪速のリングを盛り上げたのが、風間だった。スタイルは右のファイター型。JBC元関西事務局長の角田吉夫氏はアマチュア(同志社大学)時代にスパーや非公式試合で数度対戦しているが、「ド突き合いのブルファイターやった」と風間のボクシングを称して回想している。
岡山出身。1949(昭和24)年にいきなり中西清明と8回戦で判定勝ちの記録があるが、それ以前からリングに上がっていたのは間違いない。チャンピオンベルトを手にしたのは29歳と、遅咲きである。当時ライト級は日本王座を19度も防衛する超安泰王者・秋山政司(極東)が君臨していたからで、風間は53〜54年に計3度挑戦したものの、いずれも判定負け(1度は負傷判定)で撃退されている。しかし、秋山引退後の56年2月地元大阪で大越利晴(極東)に判定勝ちして念願の日本ライト級王座を獲得。これは3ヵ月後東京での再戦で判定負けし無冠となる。大阪のカタキを江戸で討たれることになったが、それでも一度は当時層の厚いライト級で頂点に立ち、歴代王者のリストに名を残すことになった。
最終試合は33歳になる直前だったが、すでに現役中から大阪市内に風間ジムを経営していた。日本ボクシングコミッションの記録では「17勝9KO23敗6分9EX」だが、これはあくまで確認されたのみ。実際は52年のコミッション設立以前からリングに上がっており、風間ジムに残るレコードは「89戦42勝21KO31敗12分4無効試合」というものだ。負けも多いが、地元で負けたのは半分以下、しかも相手のほとんどはチャンピオン級で、秋山の他、後藤秀夫、中西清明、福地健治、沢田二郎、小林久雄、大滝三郎、石川圭一、小坂照男……といった戦後のスターたちである。
09年に病死。風間ジムは現在長男の勝雄氏が継いでいる。
提供:ボクシングビート
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